公益社団法人東京生薬協会公益社団法人東京生薬協会

歴史・沿革【あらまし】

「社団法人東京生薬協会」設立の経緯

戦時中の医薬品不足を受け、東京都では「生薬増産対策要綱」を定め、薬用植物の栽培、野生薬用植物の採集等に取り組んでいたが、終戦後も医薬品不足は改善せず、むしろ一層の困窮を極めるようになっていた。
そこで1945(昭和20)年10月、東京都民生局薬務課(当時)は、世田谷区用賀町にあった旧陸軍衛生材料廠薬用植物栽培試験地を借り受けて「東京都用賀薬用植物栽培場」を設置。鎮痛・鎮痙剤の材料になるチョウセンアサガオ、苦味健胃薬となるヒキオコシなどの栽培試験を開始した。

1946(昭和21)年2月には、同じく世田谷区用賀町に、東京都製薬研究所が設置された。その研究のための材料は、主として前述の東京都用賀薬用植物栽培場と、1946年4月に開設された「東京都小平薬用植物栽培場」(現在の東京都薬用植物園の前身。1957年に現在の名称へ改称)から提供された。

 

東京都小平薬用植物栽培場は、当時、薬用植物栽培の主要産地であり野生薬用植物採集地でもあった三多摩地区の中心に設置されたものである。
しかし周辺の宅地化が年々進み、ついには栽培場の山間部への移転も取り沙汰されるに至った。小平での存続を維持するためには官民一体の応援が必要ということになり、東京都衛生局長の主導のもと、生薬生産業者・卸売業者・小売業者に呼びかけが行われ、1953(昭和28)年9月3日、「社団法人東京生薬協会」の設立総会が開催され、当協会が誕生した。

 

1950-70年代

漢方無料相談所/野生薬草採集会/会報の発行/ほか

 

1980-90年代

生薬に関する懇談会/くすりの歴史展/「粉末生薬の内部形態」発行/ほか

 

2000年以降

東京都薬用植物園の管理受託/ホームページの開設と運用/公益社団法人への移行/創立50・60・70周年記念事業/ほか

 

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